ブックタイトルモットヨッカイチ 四日市の歴史 総集編Vol.1 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
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モットヨッカイチ 四日市の歴史 総集編Vol.1 電子ブック版です。
昭和10年、時の商工会議所会頭、伊藤伝七氏の私財と敷地の寄付、市債の発行によって、浜田地区の田園地帯に創設された市立商工学校。戦後は県立に移管され、四日市工業高校となったが、近鉄四日市駅の設置と駅西区地区の市街化が進んで、昭和57年、日永地区に移転、その跡地は複合商業施設アムスクエアとなり、現在はアピタとして四日市の中心街へ変貌しました。昭和27年1月、現在は四日市競輪場と改称された四日市霞ヶ浦競輪場が完成し、2月には四日市港が特定重要港湾に指定されました。3月には現中央通りで四日市大博覧会が開催されています。諏訪繁華街の写真の様子からも、四日市の活気ある姿が伺えます。昭和10年/市立商工学校(後の四日市工業高校)昭和30年前後/繁華街(諏訪)寸景山路昭雄 1930年生まれ、80歳 少年時代は戦争一色、空にあこがれて、敗戦間際の数ヵ月間、予科連を体験、と言っても飛行機に触ったことなし。戦後、某新聞社の給仕として雇われ、その後数年、記者見習い・駆け出し記者。その頃からカメラを友とする。四日市での駆け出し記者時代、市役所に移り、以来30年余、行政広報マン。この間、全国広報コンクール広報紙部門で1位、総理大臣賞を受けたこともある。55歳の時、今度は商工会議所に移り、またまた広報を担当、70歳で自由に活動を始める。現役時代に写し貯めた、あるいは収集した四日市に関する写真を眠らせておくのはもったいないと思い、その整理・保存・活用の手段として、また同時に、これまで仕事として写していた写真を趣味として生かしていこうと思い、HP作成をスタートした。 http://asake.web.infoseek.co.jp/江戸 明治 大正 昭和 平成四日市の歴史昭和初期・中期 現在ビフォーアフターvol.3四日市の歴史を皆さんご存知ですか?遡ると、古事記や日本書紀の頃から四日市の伝説は残っているようです。シリーズ企画『四日市の歴史』では、主に明治・大正の頃からの四日市の移り変わりにスポットを当てて、写真をメインに楽しんで頂こうと思います。皆さんが住んでいる町が、よく行く場所がこんなに変わってきたのかと驚かれると思います。vol . 3は昭和初期・中期_現在のビフォー・アフターです。[写真・資料提供]山路昭雄、四日市商工会議所さかのぼ