ブックタイトルモットヨッカイチ 四日市の歴史 総集編Vol.1 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
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モットヨッカイチ 四日市の歴史 総集編Vol.1 電子ブック版です。
北斎の描く「日永の追分」三景のうちの一枚で、自身代表作のひとつである。日永追分を旅する三人の後ろ姿が丹念に描かれている。この追分は「間の宿」として、旅籠、日永うちわ、白玉まんじう、永餅などの店が並び、旅人で賑わった。【葛飾北斎】生涯に3万点を超える作品を発表した浮世絵画家の最高峰のひとり。絵画技術の普及や庶民教育にも益するところ大であり、後にはフィンセント・ファン・ゴッホなどの芸術家を始め、工芸家や音楽家にも影響を与えている。東海道五十三次、四日市の絵を代表するのが広重の「風の四日市」である。場所は諸説あるが、広重がこの絵を描いた天保3年から少しあとに作成された四日市の絵図に、北納屋の地先、三重川(今の三滝川)に土堤が突き出て、その先に木橋がかかる、この「風の四日市」と符合するところがある。大きく揺れる柳の大樹、川原の芦、そして笠を追う人は転げんばかりで、強風に吹かれる光景がリアルに表現されている。【歌川広重】 ヨーロッパやアメリカでは大胆な構図とともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高く、「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。ゴッホやモネなどの画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちにも影響を与え、当時のジャポニズムの流行を生んだ要因のひとつともされている。浮世絵の四日市には「那古の浦の蜃気楼」を描いたものが多い。那古の浦は、四日市から霞ヶ浦へ、南は鈴鹿、長太浜に至る海岸の総称である。蜃気楼は春から夏の晴れた日、まず南方に現れ、北方に移動しながら十数分消滅するところから、伊勢大神宮が熱田神宮に遊幸されるのだと信じられ「那古の渡り」と称した。この絵は風景が広重、人物が豊国という珍しい合作。今でいうコラボ物のはしりのような感じで興味深いですね。【歌川豊国】幼少期に歌川派の創始者・歌川豊春の元で学び、理想の美しさを表現した役者絵や美人画で絶大な人気を得る。多くの門弟を育て歌川派の主流を築き上げた、浮世絵の代表的な画家。那古の浦の蜃気楼:歌川豊国・歌川広重四日市を描いた浮世絵は40点余りあり、皆様にもよく知られる有名浮世絵師の作品も多数あります。今回はほんの一部ですが、その有名浮世絵師の作品をご紹介します。四日市の浮世絵東海道五十三次四日市:葛飾北斎風の四日市:歌川広重〈市名の由来〉古くはヤマトタケルノミコトが東征の帰途に通過したという伝説が残っており、四日市市の足洗地(四日市市御館)でヤマトタケルノミコトが「足が三重に折れるほど疲れた」と詠んだ歌から「三重」になったとされている。その後、安土桃山時代に天然の良港で市場が「四」の付く日に開かれており、これが「四日市」の由来になったとされている。15