ブックタイトルモットヨッカイチ 2017年3月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)

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概要

モットヨッカイチ 2017年3月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)

20 いつもご愛読いただきありがとうございます。 今回の「四日市の歴史」は、前回紹介した?縄文時代に引き続き、大陸から伝えられた稲作の技術によって低湿地を開拓し、青銅器・鉄製品を生み出した弥生時代?巨大な権力者の墳墓の築造から横穴式石室を使用し、群集墳が流行した古墳時代に遡り紹介します。 これまでに発掘・検出された多くの遺構・遺物の中から古墳時代までの物を紹介し、古代の四日市へご案内します。 もっとWEBポータルのデジタルブックにてバックナンバーもご覧いただけます。ご興味のある方は、←コチラ(http://www.motto2.jp/) 又、四日市・菰野・川越・朝日の古いお写真等も募集しています。読者の皆さんと、一緒に「四日市の歴史」を続けていければと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。vol.68弥生時代~古墳時代の四日市四日市の歴史江戸  明治   大正  昭和  平成 弥生時代は、次の古墳時代までの数百年ほど続き、人々は、水稲耕作に必要な適地を求めて丘陵地や台地から低地へと進出し、従来の石器による道具に加えて、鉄器の使用によって作りだしたクワ、スキなどの木製農具で低湿地を整然とした水田へと開拓していった。 四日市では海蔵川の南岸、標高約20メートルの生桑丘陵の北端にある大谷遺跡から前期の円形竪穴式住居跡と、これを取り巻く堀跡が発掘調査によって検出され、初期水稲耕作をしていた弥生人の小規模な集落跡であることが明らかにされている。 弥生時代の竪穴式住居跡は、大谷遺跡のほか西ヶ広遺跡、尾平町の永井遺跡などから約80基検出されており、鵤町の山奥遺跡からは珍しい五角形竪穴式住居跡も発掘されている。 弥生時代の青銅器を代表するのが銅鐸である。鈍い光沢を放つ奇妙な形の銅鐸は何なのか。 稲作の始まりとともに行なわれるようになった豊作と収穫を祈る祭りの時に揺り鳴らされた鐘であったと考えられている。 四日市では、文久2年(1862)、朝明郡伊坂町(今の八郷地区伊坂町)で発見され、“伊坂の銅鐸”として三重県の文化財に指定されている。■米づくりに青銅器の製作…弥生時代【伊坂の銅鐸】▲山奥遺跡で発見された 珍しい五角形竪穴式住居跡▲四日市で検出された弥生時代の 土器と石器▲弥生文化を代表した銅鐸【写真・資料提供】山路昭雄様