ブックタイトルモットヨッカイチ 2017年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)

ページ
17/24

このページは モットヨッカイチ 2017年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ) の電子ブックに掲載されている17ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

モットヨッカイチ 2017年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)

15まだ土器を作ることを知らず、山麓に獣を追い、木の実を食べていた旧石器時代。土器を作り、竪穴式住居に住むようになっても、相変わらず自然にたよる生活を続けていた縄文時代。 私たちが今、この長い道のりを歩んできた過去の人々の営みの跡を知ろうとする時、これに答えてくれるのが埋蔵文化財と呼ばれている遺跡・遺物である。 伊勢湾に臨み、鈴鹿の山並みに抱かれ、朝明、海蔵、三滝、内部の四河川によって形成された四日市には、300ヵ所以上もの遺跡が確認されている。それは、集落跡や古墳(群)、古窯跡(群)、あるいは寺院や城館跡であったり、時代も旧石器時代から縄文、弥生、歴史時代へと続く…。【遺跡が語る 原始の四日市】わが国に人々が住むようになったのは、今から数十万年前の旧石器時代のことである。 当時の日本は大陸と陸続きで、人々はナウマン象などの動物を追って大陸からやってきたものと推定されている。この時代の人々は、石器が生活を支える唯一の道具であり、ナウマン象などのけものと戦い、厳しい自然の中で不安定な生活をしていたのである。 四日市では、小山町の中尾山遺跡と東日野町の城山遺跡で当時の石器が発見、採集されている。  今から1万年前の縄文時代になると、石器の製作技術は一段と進歩し、狩猟、漁労用、木工用、調理、加工用などその形態も多種多様となり、山や野にけものを追い、海や川で魚を取り、野生植物を採集する自然にたよる生活にも豊かさを加えていくことになる。そして、この時代を特色づけることは、日常生活の道具としての土器の出現である。 土器の出現により、人々は竪穴式住居に定住生活をはじめる。縄文時代は約8000年という長い期間であるが、四日市では、縄文時代早期の遺跡として東名阪道の建設に伴って発掘調査された堂ヶ山町(小山田)の一色山遺跡があり、中期以降のものでは、伊坂ダム東方の西ヶ広遺跡、西村町の丸岡遺跡、智積町の土丹遺跡などがある。■石器から土器への生活…旧石器・縄文時代▲四日市で検出された石器のいろいろ▲発掘当時の一色山遺跡