ブックタイトルモットヨッカイチ 2017年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)

ページ
16/24

このページは モットヨッカイチ 2017年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ) の電子ブックに掲載されている16ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

モットヨッカイチ 2017年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)

14 いつもご愛読いただきありがとうございます。 今回の「四日市の歴史」は、これまで写真や資料で紹介してきた時代よりも更に古い地質時代?縄文時代に遡ります。 これまでに発掘・検出された多くの遺構・遺物の中から縄文時代までの物を紹介し、原始の四日市へご案内します。 もっとWEBポータルのデジタルブックにてバックナンバーもご覧いただけます。ご興味のある方は、←コチラ(http://www.motto2.jp/) 又、四日市・菰野・川越・朝日の古いお写真等も募集しています。読者の皆さんと、一緒に「四日市の歴史」を続けていければと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。vol.67地層時代~縄文時代の四日市四日市の歴史江戸  明治   大正  昭和  平成今から3億年前というと、四日市の地域は海の底であった。この海に、陸から運ばれてきた砂や泥がどんどんたまって、長い年月の間に厚い地層を作っていった。 この海は古生代の終わり、今から2億数千年前まで続いたが、この頃になって徐々に海底を持ち上げて海面上に姿をあらわした。 四日市周辺の丘陵地の青粘土層の中からドブ貝やタニシなどの化石が数多く発見されており、平津団地の宅地造成の際(昭和43年)には、旧象の一種「アカシ象」の臼歯と門歯の破片が出土している。  その後も地盤の隆起、沈下を繰り返し、巨大な湖から次第に陸地へと変化していったのである。現在の海岸線は明治初期以降、幾度もの埋め立てや護岸工事等によって作られた人工の海岸線であるが、それ以前は葦(よし)が生い茂った泥海であった。■海底から陸地への変動…地質時代▲鈴鹿山麓から発見された化石のいろいろ▲平津団地で発見された パラステゴドン(アカシ象)の臼歯と門歯【写真・資料提供】山路昭雄様