概要
モットヨッカイチ 2017年1月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 株式会社Motto.interactive(モットー. インタラクティブ)
2 諏訪神社を氏神とする地域は、現在の三重県四日市市中部地区にあたる旧四日市と旧浜田の両地区です。 浜田は、鎌倉時代の鴨長明「夫木和歌集」に「行きわびぬいざ浜村に立ちよらん朝明過ぎては日永なりけり」と歌われた朝明郡と三重郡日永村の間にあった浜村が浜田であるとか、またこの浜村から浜田と市場(後の四日市)が生まれたとか諸説あるようです。 室町期には、応永26年の「比丘尼妙運道者譲状案」文書に「はまた」の名が見え、文明2年に赤堀氏一族の田原美作守忠秀が浜田城を築城(現鵜の森神社地)後に浜田が開けたといわれています。 一方、四日市が史料に登場するのは浜田より遅く、文明5年の伊勢神宮外宮庁宣に「四ヶ市庭浦」の記述が見えるのが「四日市」の初見とされています。 このような文書から、この地域が開かれるのは1400年代以後と考えられています。その後は伊勢平野の肥沃な土地と海陸交通の利便に恵まれて、交易が盛んになり、戦国の諸将にとって重要な地と考えられるようになりました。■四日市と浜田の歴史とともに いつもご愛読いただきありがとうございます。また、2016年もたくさんの方々の貴重な資料や写真の提供・ご協力ありがとうございました。 新しい年が始まりますが、みなさんはお正月に初詣は行きますか?毎年、必ず行く方・信仰等の関係で行かない方もいると思いますが、今回の四日市の歴史では、四日市の方々には馴染みの深い諏訪神社を紹介します。 改めて歴史を知る事で、いつもとは違った気持ちで参拝する事が出来るのではないでしょうか。 もっとWEBポータルのデジタルブックにてバックナンバーもご覧いただけます。ご興味のある方は、←コチラ(http://www.motto2.jp/) 又、四日市・菰野・川越・朝日の古いお写真等も募集しています。読者の皆さんと、一緒に「四日市の歴史」を続けていければと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します。【写真・資料提供】諏訪神社様vol.66四日市開拓の歴史とともに歩んできた総産土神「諏訪神社」の歴史四日市の歴史江戸 明治 大正 昭和 平成 鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に、信州の諏訪大社の御分霊をこの地に勧請し創祀されたと伝えられています。建御名方命(タケミナカタノミコト)と八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)を主祭神とし、四日市・浜田の総産土神として崇敬を集め、地域の歴史とともに歩んできました。また江戸時代以後、四日市は東海道五十三次の宿駅として賑わい、社頭が東海道に面していたこともあって、多くの旅人も道中に参拝したといわれています。■創祀の由来▼伊勢参宮名所図会に描かれた諏訪神社 寛政9(1797)年▲東海道分間絵図 元禄3(1690)年?旧四日市古図 寛文年間(1661~73)