ブックタイトルモットヨッカイチ 2015年8月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット

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概要

モットヨッカイチ 2015年8月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット

13▲昭和40年代の三交バスグリーンとホワイトの目に優しいおなじみのカラーリングは変わっていませんが、形状は何ともノスタルジックで、とても新鮮ですね。フロントガラスやライトの形、独特の古き良きデザイン。街だけでなく、乗り物の移り変わりもとても興味深いです。鈴鹿スカイライン開通式?(昭和47年11月11日) 鈴鹿スカイラインの正式名称は「武平峠」で、鈴鹿山脈の鎌ヶ岳と御在所岳の間を通っている事から由来して鈴鹿スカイラインと名付けられた。室山付近は川沿いを走り、桜並木と古い街並みが残る素晴らしい所でした。室山駅付近のこの2枚はとても貴重ですね。手動の扉を開けて乗り込もうとする乗客、手前の警報器もない踏切をお子様連れの自転車が直前横断しています。右手には昔ながらの雑貨屋さんがあり、道には仲良く手をつないだお子様連れの姿も。何とも郷愁を感じるとても良い写真ですね。?室山(昭和47年1月30日)近鉄四日市駅近鉄百貨店百五銀行(現在のスター▼昭和30年代前半、最後のにぎわいをみせる アイランドの場所)霞ヶ浦海水浴場(※昭和43年に閉鎖)辺り一面、人・人・人…戦前戦後を通じ四日市の海岸一帯は白砂青松、水のきれいな海水浴場でした。中でも霞ヶ浦は遊園地施設も整った東海地方有数の海水浴場として賑わったそうです。しかしそれも、昭和34年の伊勢湾台風とその後の国道23号線建設、海面埋め立てによる工業化で海水浴場は完全に消滅、変わって緑地公園が建設され、現在は市民のスポーツや憩の場となっています。パビリオンは大きく分けて「国際商港・国産振興・輸出振興」をアピールするパビリオン、「国防意識・国体観念・宗教的信念」の普及を図るパビリオン、博覧会協賛会直営のパビリオンの3つから成っていた。?大正初期の授業風景 「羽津小学校」昭和11年?国産振興四日市大博覧会▲東京オリンピック (昭和39年10月1日) 聖火ランナーが、四日市の 国道一号線を駆け抜けた。▲昭和30年代の近鉄四日市駅付近▲千歳橋と博覧会正門千歳橋を渡った正面に正門があり、市内はもちろん、市外・県外からも訪れた多くの人々がこの門をくぐった。