ブックタイトルモットヨッカイチ 2015年7月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
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20vol.48朝日町教育文化施設歴史博物館四日市の歴史江戸 明治 大正 昭和 平成【縄生廃寺 なおはいじ】 縄生廃寺は、江戸時代から「金光寺跡」として知られており、戦前には土取りの際に瓦片が出土したと伝えられていました。昭和61年から始まった発掘調査で、その全容が明らかにされました。出土した軒丸瓦によって、7世紀~8世紀初頭に造営された白鳳時代の古代寺院の遺跡であると考えられます。丘陵の尾根上に建立された白鳳寺院は三重県内でも珍しいものです。◆塔 塔は東西10m、南北10.2mの基壇(建物の台の部分)上に建てられていました。基壇部分は地面を削りだし、瓦を積んだ「基壇化粧」とよばれる建築方法がなされています。心柱(塔の中心の柱)は、上面から1.5m程掘り下げて置かれた心礎(心柱を支える大きな礎石)の上に建てられていました。これを地下式心礎といいます。◆倒壊屋根縄生廃寺の塔跡からは、多くの瓦が出土しました。その中には、塔の屋根に葺並べていた瓦がそのままの状態で倒壊した様子も発掘されました。特に基壇の西側に大量の瓦が集中して発見され、葺きあげた瓦の並びから、塔は左まわりに20度~25度ねじれるようにして倒壊したことがわかります。◆縄生廃寺出土品(舎利容器)塔の心礎中心の舎利孔(小さな穴)から、唐三彩椀をともなう舎利容器(釈迦の骨といわれる「舎利」をおさめるもの)が発見されました。舎利容器は、約2㎝程の鉛ガラス製の卵形容器で、ろくろ焼きの滑石製有蓋壺(外容器)に納められ、その上から唐三彩椀が覆せられていました。唐三彩は、7世紀後半から8世紀前半に中国で作られた黄・白・緑三色の美しい陶器です。この唐三彩は、日本出土のなかでも最も古い例の1つで、国の重要文化財に指定されました。 今回の四日市の歴史は、朝日町教育文化施設 歴史博物館をご紹介します。 平成9年10月に完成した朝日町教育文化施設は、あさひライブラリー(図書館)・併設の児童館などを有し、地元住民が町の歴史・文化への関心を深める、またコミュニケーションの場としても活躍しています。 今回、紹介する歴史博物館では飛鳥時代建立の縄生廃寺の模型や古代の出土品・貴重な資料をはじめ、朝日町がふるさとの江戸時代の国学者橘守部、江戸時代末?明治時代の森有節、明治?大正時代の日本画家栗田真秀・水谷立仙、ゆかりの品々もご覧いただけます。 ぜひ一度、足を運んでみてはいかがですか?【撮影協力・資料提供】朝日町教育文化施設歴史博物館様