ブックタイトルモットヨッカイチ 2015年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット

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概要

モットヨッカイチ 2015年2月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット

28江戸  明治   大正  昭和  平成四日市の歴史vol.43日永の追分追分とは道が二またに分かれるところで、日永の追分は、京に向かう東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあたります。ここには桑名の一の鳥居に対する二の鳥居が建てられました。四日市を描いた浮世絵には、この鳥居を中心にした追分の風景がしばしば表れます。鳥居は、安永三年(1774)に奉献され、その後たびたび建替えが行われ、現在のものは昭和四十八年(1973)の伊勢神宮式年遷宮の際に、伊雑宮( いぞうぐう)の鳥居を移建(昭和50 年)したもので九代目にあたります。当初は伊勢街道をまたぐように立っていましたが、現在は伊勢街道が鳥居の横に新しくできたため、鳥居を くぐらずに進めるようになり、先の移建時に周りが公園化されました。 現在の追分には、常夜燈、道標、清めの手水所があります。常夜燈のひとつは奉献時から存在したと推定されます。道標は、明暦二年(1656) に建てられたものが、嘉永二年(1849)に新たな道標を建てた際、追分神明社に移り、さらに明治の神社合祀にともない、合祀先である日永神社に移されました。それには「京」「山田」「南無阿弥陀仏 恵心」「明暦二丙申三月吉日」とあり、現存する日永の追分に関わるものとしてはもっとも古いものです。 日永の追分は、四日市宿と石薬師宿の間に立つことから間の宿とよばれ、周辺には多くの旅籠や茶店などが並んでいました。浮世絵にも饅頭屋が描かれています。                         ( 四日市市公式サイトより転載)今回の四日市の歴史は、11月号で大変反響の大きかった東海道日永郷土資料館さんに再度ご協力頂き、追分の三叉路について取り上げます。沢山の写真や資料の他、館長の島田さんからも貴重なお話しを伺う事が出来ました。小学校の時に多少は習うものの、追分の三叉路について詳しい人がこの四日市に何人いるでしょう…。普段何気に通り過ぎるこの場所が、地域にとっても、日本にとっても非常に興味深い大切な歴史がある事を、今回のこのページで知って頂ける機会になればと思います。なにぶん昔の写真のため、少し写りが悪く保存状態もやむを得ない状態ですので若干見にくいかと思いますが、ご理解の程お願い致します。それではごゆっくりお楽しみください。【撮影協力・資料提供】東海道日永郷土資料館▼伊勢神宮御遷宮記念写真追分一丁目堀智則氏旧蔵