ブックタイトルモットヨッカイチ 2015年1月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
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モットヨッカイチ 2015年1月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
20江戸 明治 大正 昭和 平成四日市の歴史皆さんが今でこそ普通に利用し、当たり前のように普段目にするタクシー。日本で、そして三重県ではいつ頃から登場したのでしょう。マイカーという物自体がまだ珍しい時代に、すでにタクシーは高価な移動手段として登場していました。今回とても興味深いお写真を有限会社BOSCO様からお借り出来ましたので、ご紹介致します。また、以前複数の読者様から頂いたお写真も併せて紹介致します。それでは、今月もごゆっくりお楽しみください。【写真・資料提供】有限会社BOSCO/BOSCO設計事務所様、モット・ヨッカイチ読者様vol.42日本のタクシーの歴史 1912年(大正元年)8月5日に日本で初めてタクシーが登場。「タクシー自働車株式会社」という会社名だったそうで、6台からスタートしたとの事。流しによる営業は当時はされてませんでした。その後、1921年(大正10年)には、第一次世界大戦による好況で1205台まで増加したとの事です。 当時の山手線の一区間が5銭、市電が4銭だったことを考えれば、かなり高価な乗り物だったようですね。「銀座駅~新宿駅間」を当時の運賃で計算すると…約1円30銭になります。★初乗り料金…1マイル60銭(加算:1/2マイルにつき10銭)※当時の山手線の一区間…5銭 1925年(大正14年)には、運賃がバラバラで苦情が多かったことを踏まえ、市内を一円均一で走る「円タク」が大阪で登場したそうです。この後かなり遅れて1957年(昭和2年)、東京にも一円均一で走る「円タク」が登場したとの事です。※当時バスは一区間10銭の頃です。 そして1941年(昭和16年)には戦争の影響からタクシーのガソリン使用が全面禁止となり、木炭や薪などが燃料となります。ガソリンは木炭や薪が燃料になる直前まで使用されていました。しかし戦争の色が濃くなっていくとガソリンは配給制となり、流しの営業も禁止されるなど、タクシー業界は厳しくなったようです。 1946年(昭和21年)終戦後、焼け残ったタクシーはたった1565台だったそうです。写真は、有限会社BOSCO/BOSCO設計事務所様よりお借りした、大変珍しい三重県のタクシー黎明期のお写真です。詳細は分からないそうですが、写真の「三1073」というナンバーから推測すると、三重県の1073番目の登録車両だと思います。三重県に、まして四日市にまだ車がほとんど走ってない頃に、既にタクシーとして営業されてたようですね。今よりもタクシーの価値は全く別物だったと思いますし、とても高価な移動手段だった事は間違いないでしょうね。並んで写ってる車も、恐らくタクシーであろうとの事です。非常に貴重な写真をありがとうございました!※三重県のタクシーの歴史について、詳しい情報をお持ちの方がみえましたら是非、編集部まで御一報ください。