ブックタイトルモットヨッカイチ 2014年12月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
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モットヨッカイチ 2014年12月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット
24江戸 明治 大正 昭和 平成四日市の歴史明治末期~戦前までは「中町」や「北町」辺りが四日市で一番の繁華街だったそうです。戦後徐々に、今で言う近鉄四日市駅・一番街近辺がどんどん賑やかになっていきます。様々なお店はもちろん、スーパーやデパート、映画館などが立ち並びはじめ、昭和30年代~50年代に劇的な変化を遂げていきます。昭和30年代半ば~平成初期の時代は、四日市・菰野の人々にとって『四日市の街(近鉄四日市駅・一番街付近)へ行く事はとても特別で楽しみな事』でした。現在30代後半~以上の年齢の方々、特に40代後半以上の方々にとっては、とても懐かしい“楽しい”思い出が『この場所に』沢山あるはずです。ここにある写真をもとに、少しだけ気持ちをタイムスリップさせて楽しんで頂ければ幸いです。【写真・資料提供】(故)辻俊文[辻写真館]、山路昭雄、四日市商工会議所、大橋写真館vol.41四日市の繁華街文化展覧会が開かれた時の街並み当時の中央通りでは「四日市大博覧会」が開催されています。駅近辺もこの頃からとても活気があったそうです。明治の末期から戦前にかけての繁華街は、幕政時代、高札場があった札の辻を中心にした竪町・中町通り・南町・北町通り・新丁通りであった。特に中町筋は「中町銀座」と呼ばれ、一番賑やかだった。昭和20年代後半/一号線昭和30年代後半/中央通り(七十米通り)諏訪新道/昭和25年中町銀座通りの夜景北町通り昭和27年3月大正11年8月