ブックタイトルモットヨッカイチ 2014年5月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット

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概要

モットヨッカイチ 2014年5月号 四日市 菰野 川越 朝日 地域情報 イーモット

25▲土手に立つ少年。(後ろは富田小の倉庫)▲後方に見えるのは現在の三重県立四日市高等学校十四川の名称は、途方川→頓々→富田川→十志川→十四川と改称してきた。?明治29年富田村の地図I J1名様四日市大博覧会ポストカード~十四川改修工事と桜並木の経緯~昭和 昭和48年 昭和10年頃 大正12年 明治42年 明治37年51年昭和53年平成17年度平成14年度以降大正7年頃から十志川の改修によって川筋が変わり、十志川は若宮八幡神社(北村町)の南側から北側に変わった網勘橋のたもとに、桜の植樹記念碑を建設。十四川の桜が「日本さくらの会」から全国表彰を受ける。堤防は両岸川底ともコンクリートによる改良工事が始まる。十四川桜まつりが復活富田青少年を守る会・富田商店街会・富田連合自治会と受け継がれてきたが、現在は富田社会福祉協議会(環境部会)が受け継いでいる。富田保勝会(現在の料理旅館組合)主催で桜まつりを行う。昭和16年以降は、第2次世界大戦のため中止となる。網勘製網株式会社が創立を記念して、十四川堤に苗木を寄贈するとともに「さくら祭り」を開く。※網勘製網の社長・伊藤勘作氏は当時、区長をしていた。網勘商店(現アミカン株)の寄贈により、河口(一本松あたり)から西方へと、堤にさくらの苗木を植樹した。桜も植樹依頼80年を経過し、枯れたり台風で折れたりして減少してきた為、住民の希望者に「記念樹」として苗木を買ってもらい新たに植樹が開始される十志川の改良工事完成により、北鵤(きたいかるが)から浜の河口まで人造堤が出来る。その後、時々豪雨があり堤が氾濫し水害被害が発生した。このため、堤の強化について地元の識者が集まり相談した結果、堤に樹木を植え樹の根を張らして強くすることとし、堤を桜並木にすることにした。1名様湯の山音頭恋の湯の山レコード村田 英雄、五月みどり、神戸一郎、八代 政子による湯の山を歌った楽曲が収録されたレコード明治37年度の改修工事で川筋が変わった。P.18とP.43のプレゼントもチェック ! P.43のハガキでご応募ください!